「〈月の貴婦人〉は花に宿った魂を食べてしまったの?」
静かに物語に耳を傾けていた少女は、思わずといった様子で、身体を起こした。
その表情は悲しみに満ちていたので、青年は少し驚き、少女をもう一度横にしてその波打つ黒髪を撫でる。開け放たれた窓から、そっと風が吹き込んできた。
落ち着くのを待ってようやく、青年は少女にお話の続きを語る。
「いいえ、〈月の貴婦人〉は魂を食べることをしませんでした。男の死を悟ってなお、彼女は男を深く愛してしまっていたのです。だから、夜の王に己を水晶の花に変えてほしいと頼んだのです」
「……花に?」
少女は不思議そうな声で聞き返した。
「月の女神に仕えるニンフでなくなっても、愛するものの魂と共にいたいと、そう願ったのです」
「それは……なんだか、悲し、いわ……」
重く閉じられてゆく少女の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
青年はそっと息をついて、少女の涙の筋を指先でぬぐい取る。ランプの明かりを消し、開け放たれた窓辺へと向かった。風に攫われ揺れる薄いカーテンの向こうには、すっかり高く昇った上弦の月。月には月の女神が住まう宮殿があるのだという。
青年は窓の枠に身体を持たれかけて、群青の空を見上げる。目に映る景色は、懐かしい故郷の景色と重なった。美しい夜の王国だ。
夜の王は〈月の貴婦人〉の望みを聞き入れ、月の女神の力を借りて美しい娘を水晶の花にした。二輪の花は『月光の庭』の泉の中に大事に隠され、花を守る番人は梟に託された。今もきっと、生真面目なあの庭の番人は懸命に泉を守っているのだろう。
薄暗い森から、梟の低く鳴く声が聞こえてくる。
青年は窓を閉じて、月をカーテンの向こうに隠した。
ベッドの横に立ち、身体を折り曲げて少女の額にそっと口付けを落とす。
「おやすみ、エメルダ――我らが夜の王よ」
その名は夜の闇へと吸い込まれた。