気付けば二百年の時が過ぎていた。
妖精の女王との契約は悲しき運命の兄妹に居場所を作り、妹は穏やかな世界の中で美しい娘へと姿を変え、王としての責務を果たした。夜の国のものたちは夜の王を慈しみ、数々の祝福を与えていった。
ティターニアはふたりに新しい名前を与え、魔法使いに見つからないよう、「女王」ではなく「王」として生きるように言った。
それが哀しき兄妹―ウォーレンとエメの物語だ。
その日、ウォーレンは愛おしい妹と森に散歩に出ることにした。
森の地面にはその奥まで続くブルーベルの絨毯ができていた。青紫の小さく可憐な花は、夜の国の夜空を思い出させる。花の間に足を踏み入れるたび、軽やかな甘い香りが舞いあがって辺りに広がる。エメは踊るようにして、先を歩いてゆく。狼の姿を併せ持つ青年は、その様子を静かに見つめていた。
「兄さま、早く」
少女は振り返り、にこにこと笑みを浮かべて引き返すと、兄の手を取った。白く柔らかな手を握り返せば、それは確かな温度を伝えてくれる。
エメには記憶がない。
自分が夜の国の王たる〈星月夜〉であることも、かつて北の果ての地に生まれたことも覚えていないのだ。彼女の中にあるのは兄というものがいるという感覚。ウォーレンが語り聞かせるお話も、すべては御伽の世界のことだと思っている。けれど、彼が語るのは全て彼らの記憶だ。
二百年の時が経った頃、魔法使いは突如として夜の国に足を踏み入れた。
懐かしい父の姿ではなく別の人間の身体を手に入れていたが、その鼻を衝く腐敗臭と呪いのにおいを隠すことはできない。男はようやく欲しいものを見つけたことに、満足していたようだった。けれど、魔法使いは知らなかったのだ。多くの祝福を受けた夜の王に、近付くことができないことを。
エメを守る祝福は、魔法使いがその身体に触れようとしたとたん、光となって男の身体を焼き尽した。
しかし呪いと祝福は隣り合わせの存在なのだ。その力に耐え切れなかった夜の王は、身体と魂とを切り離すことで呪いと祝福を分けた。そしてその一部を、ウォーレンの呪いを解くために使ったのだ。呪いは他のものには解くことのできぬという決まりを破って、兄を解放したのだ。
目の前にいる幼い少女は、夜の王の魂が形をとったものだった。本当の身体は『月光の庭』の泉の中で、水晶の花と月の光によって少しずつ浄化されている。その身体に残った呪いの糸を全て祓うまで、魂は己の身体に近付くことはできない。
黒く波打つ髪を揺らし、少女は歌を歌いながら森を進む。現の世界に戻ることとなった兄妹を受け入れた女性が教えた、星の歌だ。
青年はその優しい歌に耳を傾けながら思い出す。
身体と魂が分かれるその一瞬、夜の王が囁いた言葉を。
「わたしが夜の国に戻る時まで、どうか待っていて」
それは違えることのない約束。
いつかあの美しい夜の国に戻れるその時まで、今は、朝日を迎えよう。