小説を書くこと

自分にとって書くということは何なのだろう。
ふと、そんなことを考えてしまったのはきっと、仕事に忙殺された一週間を乗り越えたときにやってくる、すっと頭の中を過ぎる「疑問の風」のせいでしょう。きっとこれを書いた後、冷静になった頃に読み返して恥ずかしさに悶えることと思います。
書くということは楽しく、そして苦しくもあります。これはどんなことにも言えますが、何かをやり遂げるというのは、知らず知らずのうちに体力と精神を消費するものです。じゃあ、そんな諸々を乗り越えて完成されたものの先に求めるものとは何なのでしょう?

これもきっと人によってそれぞれ。
自分の場合は、と考えてみたけれど、はっきりと言葉にするのは難しい。私にとって小説を書くことは、今もこの先も趣味の範囲を出ないものです。執筆時間や書く内容やテーマに隔たりがあるので、大衆向けはまず無理。それに、ツイッターでちらりと回ってきたりする「たくさんの人に読んで欲しい、感想が欲しい、評価されたい」というのとはちょっと違うなあと思います。私にとってそれほど優先されるものではないのです。

もちろん読んでいただけることも、感想をいただけることもこの上ない幸せです!私にとっては大切なギフト。まんべんの笑みで小躍りするし、スクショを撮って大事に保存をします。嬉しくないわけがありません。だって、自分の作り出したものを好きだと思ってくれる誰かがいるのは、果てしなく幸運で素敵な出来事だと思いませんか?

ただ、書くときに一番先にやってくるのは「これを書きたいなあ」という気持ちなのです。それがテーマに隔たりがあるという点と繋がるわけですが、頭で描くときの根本として「美しい世界」でありたいというのが第一にあります。映画のような、舞台のような、音楽のようなそんな洗練されたロマンティックさを求めているのです。

たぶん、私の頭の中は身近な大人が引くほどのファンシーさで溢れていると思います。現代が舞台のものをめったに書かないのは、私にとってそれがあまりにも身近で、生きたことのない時代なら自由に想像の翼を広げられるのです。もちろん私が懐古的であるのは間違いないです。強い憧れを文章に起こしているともいえるのかな……。

幻想的なものに惹かれるのも、限りなく魅力的だからです。それらを総合的に考えて結論を導き出してみると、エブリディ・マジックが一番私に合っていて、そして大好きなのです。好きなものを書けるのは幸せなことです。
小さい頃から空想好きな私にとって、それを表現できる小説に出会えたのはきっと偶然が重なっただけなのでしょう。この世界にはいろんな表現の仕方があって、たまたま私には文章を書くことが合っていただけなのだと思います。そして、怠け者なのに中途半端にできない性格がきっと一番難しい「完成させる」に繋がっているのではないでしょうか。飽き性の自分自身を褒めたいのですが、いろいろやってきた中でこの趣味だけは長く続いているものだったりします。全身全霊の自己満足ですが。

小説を書いていて楽しいことは実はもう一つあって、今まで知らなかった世界を知ることができます。これは書く前に読む膨大な資料の副産物でもあるのですが、きっとテーマにしていなかったら知りえなかっただろうことが知れるのは実に面白いものです。もちろん自分の目で見て体験することに勝るものはないですが、小説や漫画というのは「日常では絶対に味わえない世界を追体験できる」ものだと感じます。自分が読み手のときは、筆者の世界観に夢中になりますから。

ここまで書きましたが、じゃあ「書くということ」は結局どういうこと?というのは分からずじまいです。けれど、空想が尽きない限り、書きたいと思うものがある限り、私はこれから先も書いていくのだと思います。ただ確かなのは「書くことに縛られたくない」。きっと縛られたその時、私は書くことから離れていくでしょう。

これからも楽しく、時には苦しく、文章を書いていきたいものです。そうして本にしたり、サイトに載せたりして、誰かがふと立ち止まってくれるそんな「絵画」のような存在であればいいなと思うのです。